愛知

<熱狂冷めて なごや市議選>(上)減税、辛くも危機回避

2015年4月15日

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 「河村市長を助ける勢力をつくらなければいけません」

 投開票日前日の十一日昼。北区のスーパー前でマイクを握った減税日本の候補、田山宏之(56)は懸命に党の存亡の機を繰り返した。

 スピーカーから聞こえるのは、党代表で市長の名前「河村たかし」。地域の課題や独自の政策は、それほど。減税候補の選挙戦を象徴するようだった。

 「河村市長を助ける男、女」。減税が擁立した十八人は、ポスターや演説でそう名乗った。市長も早朝の街頭から夜の演説会まで、連日、市内全域を駆け巡り、河村節で候補を売り込んだ。

 「減税の候補を勝たしてもらわんと、議会でわし一人、悶(もん)絶死してまう。頼むわ」

 獲得した十二議席は「旋風」を吹かせた前回の二十八議席から大幅減。だが、なお続く河村人気と、候補の絞り込みで、改選前より一増させた。

 二〇一一年三月の出直し選で勢いが頂点に達した減税日本。押し上げたのは、市民の「庶民のための政治」への期待だった。

 だが、政務調査費(現政務活動費)の不正受給や自動車での当て逃げ事件など、所属議員の不祥事が続く。

選挙戦最終日、市議選候補らを必死で売り込む河村たかし市長(左から2人目)=名古屋市中区栄で

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 議会審議でも。論戦を仕掛けられても、会派内の意見すらまとめられず右往左往をさらした。

 「公約を可決するための、起立要員にすぎなかった」「議員を育てようとしない」。生みの親と考えが合わず、離党者が相次いだ。

 実は、今回の選挙前、党の名称を変えるプランが囁(ささや)かれた。「河村市長を助ける会」。二月、県選管にそんな名称の政治団体が届け出された。「『減税』の名も傷ついた。別の団体名で戦う方法もある…」。実現こそしなかったが、市長自ら三月上旬の幹部会合で切り出した。

 市議選翌日の十三日。記者会見で、心境を、最近お気に入りの歌謡曲の歌詞の一節になぞらえた市長。

 「逆風のオンパレード。それは僕からすれば『泥に伏せる時』ですよ、これは」

 市民税減税や議員報酬半減を実現し、「庶民革命」の一歩を築いた。にもかかわらず、減税の勢力が広がらない葛藤がにじんだ。

 「市長のいいところは推進し、よくないところはくぎを刺す」

 市長の腹心で、初当選した元衆院議員の佐藤夕子(52)は、単なる「起立要員」とは異なる議員像を口にした。

 重要案件を通すには、他会派とぶつかり合うだけでなく、時に、市長を説得してでも、折り合いをつけなければならない少数与党。議員には、地域の課題に精通する姿勢や、経験がいっそう求められる。ただ、それは、市長が提唱する「ボランティア議員」と相いれるのか。

 「地元のバス旅行や(政治資金集めの)パーティーはどんどんやらんと」。記者会見で、選挙戦を勝ち抜くために足腰を強くする必要があると説いた市長。描く「減税議員」の理想像は、まだ見えない。=敬称略

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 「減税旋風」が吹き荒れた四年前の出直し選から、攻守逆転となった今回の名古屋市議選(定数七五)。改選前の勢力を維持し、どうにか踏みとどまった減税日本。自民や民主は手堅く議席を伸ばし、共産は昨年の衆院選の勢いそのままに躍進した。選挙戦を振り返り、今後の市議会を展望する。