(30) 約束遂げ、花火のように散る-玉の海と名古屋場所
「第51代横綱玉の海を愛する会」会員の梅沢敏郎さん=岐阜市=も、愛知県体育館の名古屋場所に足しげく通った。
「親方らと親しくしていただけた」のは県体育館の思い出。積み上げた相撲の知識に舌を巻く親方、力士も多かった。
10年ほど前には、地元の子どもたちが手掛けたプランターの花道が県体育館前に設置された。熱中症が増える前、名古屋場所担当部長の千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)が考えたファンサービスだ。
力士がここを通って場所入りし、梅沢さんも「楽しみにしていました」。白鵬や日馬富士、朝乃山らの場所入りをカメラに収めた。
取組前、県体育館内で放送される「相撲錬成歌」に合わせて口ずさみ、気持ちを盛り上げるのは梅沢さんのルーティン。玉の海が最高潮を極めた県体育館で、後進たちの奮闘を応援している。
愛する会の葛谷充代さん(66)=愛知県一宮市=は「優勝パレードで玉の海がオープンカーに乗り込んだ正面だけは残してほしい」。初恋の思い出が消えようとしていることに心を痛める。
玉の海が活躍したのは、名古屋場所の歴史67年の序盤13年。初土俵3場所目を2年目の金山体育館で、関取で県体育館1年目を迎えた。
ひと一倍、稽古し、横綱になると蒲郡中時代に誓った玉の海―善竹正夫は、1971年、県体育館で横綱として全勝。体を酷使して約束を果たし、花火のように散った。
2025年、名古屋場所は県体育館からIGアリーナ(愛知国際アリーナ)に移転する。梅沢さんは「新アリーナでも力士と触れ合える場所をつくってもらえたら」。玉の海や相撲からもらった一喜一憂を多くの人と共有したいと願っている。
終わり