統一地方選2019

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<自治のあした> (3)平成の大合併のひずみ

2019年3月19日

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 「高島市今津町今津四四八番地二〇」。市役所の位置を定める条例にはかつて、こう書いてあった。生まれも育ちも今津町の釆野(うねの)哲平(70)=市民団体高島はひとつの会代表=は、この一文は永遠に続く「神聖なもの」だと思っていた。

 高島市は五町一村による対等合併で、二〇〇五年一月に誕生。本庁舎の新設予定地を今津町とすることを示したこの条例も、同時に施行された。市の誕生前に結んだ「合併協定」に基づくものだった。

 だが、一三年一月の市長選で、事態は急展開した。新人の福井正明が「本庁舎新設の凍結」を争点に掲げて現職を破り、その後、今津町の南隣にある新旭町の庁舎を増改築して本庁舎にする案を打ち立てたからだ。

   ◇ 

 市が新築より安価と試算する「新旭町の庁舎の増改築」か、合併協定で約束した「今津町への新築移転」か−。釆野は、福井が合併協定の決定事項を覆し、議会に二者択一を迫る「強引さ」に嫌悪感を持った。

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 釆野は曲がったことが嫌いだが、当時はいたって冷静だった。福井が市役所の位置を新旭町にする条例改正案を提出しても、「議会が否決するだろう」と思っていた。可決するには出席議員の三分の二の賛成が必要で、それが壁になると思った。

 読みは当たった。一四年九月、議会は条例改正案を反対十二、賛成八で否決し、翌年三月に再提案された時も否決。「議会がストップを掛けてくれた。これぞ民主主義だ」と胸が熱くなった。

 だが一つ、読みが外れていた。福井があきらめなかったことだ。一五年四月、今度は市民に賛否を問う住民投票に打って出た。結果は新旭町案が一万八千五百六十五票、今津町案が八千六百九十二票。新旭町案が、投票総数の三分の二に近い票を獲得した。

 その二週間後、議会が三たび条例改正案を否決すると、今度は「住民投票の結果を尊重していない」と議会が批判された。反対した市議の一人は「意見を曲げて賛成するのは、おかしいと思った」と振り返る。

 「市議会がまひしそう。どうにかせんと」。釆野は一五年十月、仲間とともに新旭町の仮庁舎の増改築の差し止めを求め、市を大津地裁に提訴した。合併時に新市建設委員として市の発足に関わったことも、釆野を行動に突き動かした理由だ。

 だが、議会や旧今津町民が反対すればするほど、“南北戦争”とやゆされるようになり、議会や旧町が「悪目立ち」するようになった。町内の反対ムードも「新旭で良くないか」と少しずつ下火になっていった。

 ◇ 

 決着は結局、選挙だった。一七年一月の市長、市議の同日選で、福井が再選を果たし、旧今津町出身の候補が市議選に次々と落ちて、議会の顔ぶれが変わった。議会は同六月、四回目の提案を賛成十七、反対一の大差で可決した。

 直後、条例の市役所の住所は、「新旭町北畑五六五番地」となった。釆野はその翌月、条例改正により訴訟の前提が崩れたとして、訴えを取り下げた。「たかが選挙、されど選挙。しょうがない」。自分にそう言い聞かせた。

 行財政基盤の強化を旗印に進められた「平成の大合併」。だが、地域間の格差拡大や対立を招いたという“ひずみ”も出ている。高島市のように、合併時の約束を引きずる問題も、全国各地で相次ぐ。

 釆野は高島市の発展を心から願う。ただ、もし合併協定で、市役所の位置が今津町でなかったら−。釆野は当時の記憶をたどり、かつての予定地を見渡しながらつぶやいた。「今津は合併しなかったでしょう」

 (文中敬称略)

 

統一地方選の日程

前半戦
知事 告示3/21(木)
政令指定市 市長 告示3/24(日)
県議 告示3/29(金)
政令指定市 市議 告示
投開票4/7(日)
後半戦
一般市長、一般市議 告示4/14(日)
町村長、町村議 告示4/16(火)
投開票4/21(日)
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