<改革いずこへ 4・7名古屋市議選> (中)見える化
2019年3月21日
インターネットで中継される名古屋市議会=名古屋市中区で |
同僚議員に囲まれ、スーツ姿の身を九十度折り曲げた。「誠に申し訳ございませんでした」
昨年十二月五日の市議会教育子ども委員会。副委員長を務める減税日本の議員が不祥事をわび、副委員長の職を辞すと申し出た。了承されて幕引きかとみられた場面は、そのままでは終わらなかった。
「辞めたいと言っても委員会が辞めるなと言ったら辞められないんです。それがルール。イロハも分かっとらん」。自民のベテラン議員が口火を切った。民主のベテラン議員が続いた。「辞めることと後任を選ぶことはセットなんですが。そこらへんも含めて責任をどうとられるのか」
追及は一時間以上。減税議員は六度も頭を下げた。この場面はインターネットで中継され、千七十回にわたって視聴された。
委員会のネット中継と議員同士が自由に討議する「委員間討議」は、河村たかし市長誕生を契機とした議会改革の一環として二〇一一年三月に始まった。開かれた議会を目指すとともに、政策について議論を深めることがルール変更の名目だった。
しかし、「最初から『減税たたき』が目的だと感じた」と元減税市議の則竹勅仁さん(53)は語る。
一一年に減税の議員を務めた片桐栄子さん(66)は「他会派の追及がつらくて夜も眠れなかった」と明かす。他会派の議員に促され一三年、減税から離団すると追及はぴたりとやみ、減税に残った議員だけが引き続き追及を浴びた。「減税を一人ずつはがしていくのが彼らの狙いだったのかも」と片桐さんは振り返る。
一方で片桐さんは「確かに減税は勉強不足だった」と認める。付け入る隙を与えたことで、議事運営の不備、主張の矛盾、そして不祥事がネットを通して有権者の目にさらされた。
八年前、河村市長率いる減税の旋風は、多くの既成政党から議席や票を奪った。さらに報酬半減、定数半減といった極端な主張を展開。その意趣返しとして「減税たたき」が起きたのは自然な流れとも受け取れる。
河村市長も「議会は激しい権力闘争の場」と言い、生き残るには強い覚悟が必要と考える。現職の減税議員も「もっと戦えるよう勉強しなければ」と語る。
一方、他会派と討論することの多い自民のベテラン議員は「画面にどう映るか意識するようになった。一歩間違うと悪の権化に見られかねない」と警戒する。
すべてが記録され、ネットを通じて拡散するデジタル化の波を議会も逃れることはできない。技術の進歩は、それを味方につける戦略の検討をすべての議員に迫っている。