月への団体旅行が売りに出されている時代、餅をつくウサギの姿は我々の目にはもはや見えない。天文ファンはその代わりに地形と光が作り出すさまざまな文字を見つけている。日本でもにXの文字が観測できるかもしれない。
月のヴェルナー・クレーターの近くにXの文字が浮かび上がる現象を2004年8月に「発見」したのは、カナダ王立天文学会のデビッド・チャップマン氏(元物理学者)だ。それ以降、多くの天文ファンによって毎月のように報告されるようになった。天体望遠鏡や双眼鏡を使えば、月面の昼と夜の境界線近くで明るく輝くXの文字を約1時間にわたって観察できる。
同氏によって「ヴェルナーのX」と名付けられた現象は、地球から見た月面の真正面、月面座標でいえば東経0.5度、南緯25度付近で起きる。
直径が100キロメートル以上あるプールバッハ・クレーターの縁にできた長さ100キロメートル、最大標高4000メートル超の山脈がXの西側にあたる。東側を構成するブランキヌス・クレーターの縁は標高1000メートル程度しかないが、クレーターの底が標高マイナス3000メートルに近いため、東側に深い断崖ができている。
地図の上では、複数のクレーターに挟まれた場所の、ありふれた地形のように見える。しかし、ヴェルナーのXでは、日の出の際、ブランキヌス・クレーターの東側にある、約100キロメートル離れた標高2000メートル超の山脈が長い影を落とす。
月面の地形は、NASAの研究者らによって地球と遜色がない精度の標高データが公開されている。2015年公開のデータ(SLDEM2015)は、日本の月周回衛星「かぐや」の地形カメラとレーザー高度計の観測結果を利用したもので、空間分解能60メートル、高さ誤差3-4メートルで月面の大部分をカバーしている。
このデータをそのまま3Dグラフィックスソフトで読み込み、太陽の方角に光源を配置すると、ヴェルナーのXが再現できる。大気がない月では光の散乱を考慮する必要がないからだ。
日が昇り始めると、長さ100キロメートル、標高3-4000メートルの山脈の峰が最初に輝き始める。
さらに日が昇ると、手前の標高1000メートル弱の山麓に光が届き、Xが完成する。手前は標高マイナス3000メートルのブランキヌス・クレーターで、縁の影になって光が届いていない。
手前のクレーターの内側にも光が届くと、Xの文字が崩れ始める。
明るくなった月面にX状の地形を認めることは難しい。Xの文字は、日の出直後の光が短時間だけ作り出す現象だとわかる。太陽が昇る速度は地球よりも月の方が29.5倍も遅いため、月面Xは1時間程度続く。
月の真正面で毎月起きる現象が、なぜ2004年にもなって「発見」されたのか。チャップマン氏は「人間にとって不規則に感じられる周期のため、繰り返し観測することが難しかったからではないか」と報告している。
月は、地球の周りを平均27日7時間43分で一周している。ちょうど同じ時間で自転しているため、地球から見た月の姿は常に同じだ。したがって、Xの位置は変わらない。
ところが、月の1日(月の満ち欠けの1周期)は平均29日12時間44分なので、Xの位置における次の日の出は29日後に12時間44分程度ずれ、(地球の同じ場所から見た場合)月は地球の反対側になる。その次は59日88分後なので、59日後の同じ時間に月を見ても、1時間しか続かない月面X現象はまだ始まっていないことになる。
加えて、月の1日の実際の長さは、地球や太陽の引力の影響で毎日(地球の視点では毎月)数時間の変動がある。月の自転軸は太陽に対して6.6度傾いているため、影のでき方も同じではない。もちろん、天気にも恵まれる必要がある。
チャップマン氏は「偶然見つけた天文ファンはこれまでもいただろうが、再観測することが難しい。したがって誰も報告しなかったのではないか」と書いている。
日本では2009年、神奈川の山田陽志郎さんがヴェルナーのXを「月面X」として紹介、出現予報を発表しはじめたことがきっかけになり、天文ファンの間で知られるようになった。
当時、横浜市の科学館で天文担当指導員だった山田さんは、「空の明るい都会でも一般的な天体望遠鏡で十分楽しむことができる。月面観察への導入としてもうってつけかもしれない」という教育的な意義を感じたと言う。
年 | 日 | 時間 |
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2022年 | 7月6日 | 18時ごろ |
9月3日 | 16時半ごろ | |
11月1日 | 16時半ごろ | |
12月30日 | 19時半ごろ | |
2023年 | 2月28日 | 0時半ごろ |
3月29日 | 14時半ごろ | |
5月27日 | 16時ごろ | |
7月25日 | 15時ごろ | |
9月22日 | 13時ごろ | |
11月20日 | 14時ごろ |
【注意】失明する恐れがあるので、絶対に望遠鏡や双眼鏡を太陽に向けてはいけません。昼の月はコントラストが低く、観測にはお勧めしません。
データについて 月の標高データは、M.K.Barker, E.Mazarico, G.A.Neumann, M.T.Zuber, J.Haruyama, D.E.Smith氏によるHigh-resolution Lunar Topography (SLDEM2015)を使用した。