夢の結晶 モーグルのスキー板、実は… トップ選手の9割が日本製
2カ月後に迫った平昌冬季五輪を前に「平昌五輪〜夢の結晶」と題し、開幕まで3回にわたって特集する。第1回は世界のモーグル界を支えるメードインジャパン。今年3月の世界選手権を制した堀島行真(19)=中京大=を筆頭に、メダル獲得が期待されているフリースタイルスキーのモーグル。世界のトップ選手の約9割が日本製のスキー板を使用しているのをご存じだろうか。「アイディーワン」と「ハート」。誕生秘話や現在の状況などを探った。 (兼田康次)
それは冗談のようなひと言から始まった。
「ほな、ボクがスキーを作ったろか」
そう言ったのは、大阪府守口市に本社を置くマテリアルスポーツの藤本誠社長。1999年当時、ゴーグルの「ボレー」ブランドの代理店を経営し、上村愛子に用具提供をしていた。当時10代だった上村は前年の長野五輪に出場したが7位。スキー板は悩みの1つだった。しかし、スキー板を作るノウハウもなければ、自社工場もない。それでもスキー業界に人脈があった藤本社長は本気で動きだした。
今年9月に59歳になった藤本社長は大阪府東大阪市出身。大体大1年まで陸上競技に励み、基礎スキー部にも所属していたが、競技スキーとは無縁だった。大学卒業後も大阪のカルチャースクールなどで講師を務めていたが、転機になったのは知人からの「ボレー」ブランドの代理店の勧め。91年、マテリアルスポーツを立ち上げて販売を開始すると、スキーブームにも乗って、飛ぶように売れた。94年には株式会社に。そんなときのスキー業界への本格参入だった。
「自分が年を取っても滑れるスキーを作りたかったのもあるけど、やっぱり日本人が勝つスキーを作りたかった」
藤本社長いわく「自分はコーディネーター」。実は同社の社員は現在も4人だけで、スキー板工場も含めてすべて外注だ。最初に長野市にあるスキー板工場と契約すると、スキー作りは後に全日本のコーチを務めた、フィンランド人のヤンネ・ラハテラさんに協力を仰いだ。というよりも、ラハテラさんの要望通りの板を作った。もちろん、上村にも聞いた。雪上で何度もテストした。その結果、何本もあったテスト板から2人の意見が合致。「いいスキーができたら使う」と宣言していたラハテラさんは2000年シーズンから使用。02年のソルトレークシティー五輪で悲願の金メダルを獲得した。
「アイディーワン」の名前の由来は「アイデンティティー(ID)」と「ナンバーワン、オンリーワン」の造語。発案したのは当時から協力関係にあった元全日本コーチのスティーブ・フェアレンさん(米国)だ。藤本社長が「梵字(ぼんじ)をイメージした」というブランドロゴがついたスキーは瞬く間にモーグル界に浸透した。理想的な形状やバランスに加えて、エッジに一定間隔で刻みを入れて、しなりが得られるクラックドエッジも評価された。
ちなみにこのエッジを作っているのは新潟県上越市にある町工場。徹底的に品質管理された木材やエッジなど、すべてメードインジャパンだ。
ブランドが発足した00年以降、昨季まで五輪金メダルはエアリアルを含めると6個、世界選手権の金メダルは昨季の堀島行真(中京大)を含めて14個を獲得。W杯種目別6連覇中のミカエル・キングスベリー(カナダ)を含めて多くのトップ選手が使用している。昨季の世界選手権トップ10の中に男子7人、女子6人と圧倒的なシェアを誇る。女子のシェアは近年増えたそうだが、その理由は藤本社長によると「愛子に勝たせたかったから、引退するまで有力選手に提供しなかった」。現在、海外の選手はW杯総合10位以内が提供の条件になっている。
「平昌五輪はできれば日本の誰かに表彰台に立ってほしい。そうすることでモーグルを始めようと思う人もいるからね」と藤本社長。上村愛子から始まった五輪金の夢は、堀島ら日本人選手に託されている。
堀島行真
「ぼくにとってアイディーワンはあこがれのブランドでした。モーグルをやっている周りの大人たちが使っていたのですが、中1のときに初めて型落ちの新品を買ってもらったときは本当にうれしかった。今は提供していただいているので、五輪でいい結果を残したいと思っています」
アイディーワン誕生のキッカケとなった上村愛子さんは2014年に現役を引退。愛用したスキーについて「思うように動いてくれて、コーチから指摘されることを表現できた。欲を出せる板だった」と振り返った。
自らが製作に携わったときは、すでに6本に絞られていて、抜群の操作性を誇る1本に衝撃を受けたという。
「今までの板はコブに当てると自分から次のコブに落とし込む作業が必要だったけど、その板はコブに当てると、たわみの反動で自然と落ちてくれた。トーション(ねじれ)とフレックス(たわみ)のバランスが抜群だった」。その後は五輪のメダルこそ届かなかったが、07年シーズンには日本人初のW杯種目別総合優勝を達成。09年の世界選手権でも日本人初となるモーグル、デュアルモーグルの2冠を達成した。
「愛子に勝たせたい、とずっと言われていた。五輪は取れなかったけど、(W杯総合優勝と世界選手権2冠で)少しは恩返しができたかな」と話す上村さんは今年、全日本の外部講師として後輩たちの指導に携わっている。3月の世界選手権で自身と同じ2冠を達成した堀島について「ミック(キングスベリー)の心に火が付いたようにスピードも技術もある。あとは毎回それを出せるかどうか。挑戦者として、日々気になることをつぶして準備してほしい」とエールを送った。
気のいい関西人という表現がぴったりな藤本社長。こんなエピソードもある。24歳の四方元幾(愛工大)が20歳のころ、上村愛子さんの引退パーティーに出席。アイディーワンのサポートを求めて藤本社長に直談判すると「このビールを飲め」。2分くらいかけて飲みきると、翌日からサポート選手になった。
「アイディーワンは丈夫だし、エアとのバランスもいい。泣きついてよかった。競技人生が長くなりました」と四方。今年3月の全日本選手権覇者も五輪出場へ虎視眈々(たんたん)だ。
国内外で多くのサポート選手を抱えるアイディーワン。もちろん自費で購入している選手も多い。他メーカーの多くはサポート選手用の板を開発して提供しているが、アイディーワンは提供用も購入用も同モデル。そこに藤本社長のこだわりがある。
「他のメーカーとは発想が違う。ウチが売っているのは選手用。数を作れば単価が落ちる」。トップ選手と同じモデルが市販で手に入るのも魅力で、経営する側にとってもトップ選手をサポートする負担は少ない。ちなみに堀島行真はMR−CE(172センチ)を使用。価格は8万円(税別)となっている。
日本が誇るモーグル界のトップブランドはもう1つある。米国が発祥の「ハート」だ。名古屋市に本社があるアルペングループのジャパーナ社で企画開発されたスキーは冬季五輪3大会連続で金メダルを獲得した。
1972年にスポーツ用品の小売り店として発足したアルペングループは、78年にプライベート商品の開発に着手。その1つがスキーだった。転機になったのが97年。当時国内有数のメーカーだったヤマハがスキー部門から撤退すると、技術を譲り受け、81年から委託販売していた「ハート」を充実させた。
98年の長野五輪後、取り組んだのが強豪カナダとフィンランドとの提携だった。カナダの2選手と契約すると、何本ものスキーをテスト。要望を聞いて、岐阜県御嵩町の同社工場で試作品を作った。完成したスキーは抜群の操作性を誇り、着実に成績を上げた。06年のトリノ五輪で女子のジェニファー・ハイル(カナダ)が念願の金メダルを獲得。その後、バンクーバー、ソチとカナダの選手で3連覇を達成した。
「ぜひ4連覇を達成したいと思っていますし、日本の選手にも頑張ってほしい」とは開発担当者の大嶽正樹さん。ハートの特長は芯材に木と竹を使い、補強材に特殊加工のガラス繊維を使用するなど軽量化と反発力を生み出していること。さらに契約選手の要望を受けたオンリーワンの板を届けている。ハートは日本のアルペン界のエース・湯浅直樹とも契約しているが、アルペンで培った技術も注入している。来年の平昌五輪の表彰台の頂点に立つ板は…。メードインジャパン同士の対決も注目だ。
モーグル
フリースタイルスキー(五輪競技はモーグル、エアリアル、スキークロス、ハーフパイプ、スロープスタイル)の1つで、1992年のアルベールビル五輪から正式種目に加わった。競技は全長約200メートルのコブが深い急斜面とその間にある2度のジャンプ台(エア)で争われ、ターン点(60点)、エア点(20点)、スピード点(20点)の100点満点で採点される。
日本は女子の里谷多英が98年の長野五輪で金メダル、02年のソルトレークシティー五輪で銅メダルを獲得。いまだ男子にメダルはないが、昨季の世界選手権で堀島行真が優勝した。