花形の流儀 カーリング・本橋麻里

平昌五輪代表決定戦で勝利し、チームメートと喜ぶLS北見の本橋麻里(右から2人目)=2017年9月、北海道・アドヴィックス常呂カーリングホールで

家族とともに競技謳歌

 実力差以上の衝撃だった。「スポーツへの考え方を覆された」。カーリング女子日本代表「LS北見」の本橋麻里主将は、自身2度目の五輪だった2010年バンクーバー大会の光景が忘れられない。

 選手村にあるカフェの一卓。強豪スウェーデン代表が家族と談笑していた。メンバー全員が母親で、それぞれの子供や父母とリラックスした時間を過ごす。その優しげなまなざしは、試合中の鬼気迫る表情とはまるで違っていた。

 本橋が当時所属していたのは「チーム青森」。青森県カーリング協会が受け皿となり、日本のトップ選手が集められていた。集中強化を図る日本カーリング協会の支援もあり、競技人口の少ない国内で「1強」。06年トリノ五輪に続く2度目の五輪切符をつかむのは難しくなかった。

 だが、五輪のためだけに活動するチームには限界があった。トリノ五輪でカーリングが脚光を浴び、自身も「マリリン」の愛称で人気者となったが、大会後に結婚を考えていた主力2人の退団で弱体化。新メンバーと組んでからの4年間は、高度な戦術の浸透と意思疎通を図るには短すぎた。バンクーバー大会はトリノ大会より一つ順位を下げ、8位に終わった。

 一方のスウェーデンはトリノ大会後、メンバーが出産や離婚も経験しながら同じ顔ぶれで戦い、2連覇。「彼女たちは人生を輝かせる道具としてカーリングがある。そこに(日本の)伸びしろがあるのでは」と感じた本橋は、結婚や出産があってもチームに残り、競技を謳歌(おうか)できる環境づくりに動きだす。

 10年夏にチーム青森を退団し、故郷の北海道北見市でLS北見を立ち上げた。特定の団体や企業に依存せず、幅広くスポンサーを集めるチーム運営は従来にない形だった。その分、自ら選手獲得やスポンサー探しなどに奔走。12年に結婚し、出産で現場を離れる時間も多くなった。勝てない時期が続いたが、家族的なスウェーデンに倣って発足したチームは窮地で結束した。

 母親になって負担がさらに増した本橋の仕事を、他のメンバーが手伝うだけでなく、競技面の議論も活発化。自覚の芽生えが連係をぐんと向上させた。15年には本橋、藤沢五月、吉田知那美、吉田夕梨花、鈴木夕湖の5人でメンバーが固まり、翌年春の世界選手権で銀メダルに輝いた。

 本橋は産休から復帰後、控えが多くなったが、出場時は冷静に局面を見つめ、的確に戦術を組み立てる。「昔はいつもイライラ、ピリピリしていたが、周りに甘えられるようになった」と言う31歳にとって、平昌は夢の第一歩でしかない。今後も仲間と助け合いながらチームを存続させ、いつかはメンバーの家族全員を連れて、五輪に行きたい。 (原田遼)

母親となって五輪に出場した主な日本の選手

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