白銀に輝く 葛西紀明・生ける伝説

今季初戦、青空を背景に大きな飛躍を見せた葛西=2017年7月30日、名寄市ピヤシリシャンツェで

 平昌冬季五輪は9日で開幕まであと半年。フィギュアスケートやスピードスケート、スキーなどでメダルが期待される日本勢は、激戦の代表争いや本番での活躍を見据え、夏場の鍛錬に汗を流す。白銀の夢舞台で輝くのは誰か。注目選手の動向を毎月1回、シリーズで取り上げる。初回はノルディックスキーのジャンプ男子で2大会連続のメダルを狙う葛西紀明(土屋ホーム)。鋼の肉体と愛する家族がベテランの挑戦を支えている。(上條憲也)

45歳「心体技」 限界なし

 緑に包まれた北の大地に歓声がこだました。葛西は7月末から、北海道で今季最初の試合に臨んだ。ジャンプの本場欧州で練習を重ねてきたとあって、名寄市での初戦は1回目で最長不倒の99.5メートルの大飛躍。2回目に逆転されて優勝を逃したが、「次は絶対勝つぞと気合が入った」。8月に入って札幌市での3連戦では、言葉通り2戦で優勝し、「良い仕上がり」と自信をのぞかせた。自身8回目の五輪となる平昌五輪を目指し、喜々とした表情で強化に励んでいる。

 人呼んで「レジェンド」(伝説)。ワールドカップ(W杯)最年長優勝、五輪ジャンプ最年長メダルといったギネス記録を持つ45歳は衰えを知らない。「筋肉はちょっと『じじい』になってきたかな」とおどけるが、豊富な練習量は「限界説」を寄せ付けない。

 実際、沖縄県の宮古島で5月に行った所属チームの合宿ではタフな一面が際立った。冬場に向けた体力づくりのため、早朝から夜まで一日4回の猛練習。自ら「心肺機能は若者たちと変わらない気がする」と誇る通り、インターバル走では手始めの400メートルで19歳や20歳の同僚を抑えて先頭でゴール。これを追加で3本走った後に200メートルを5本こなし、さらに100メートルも7本を走破。肩で息をしながらも、最後まで脱落することはなかった。

 バランス感覚が鍵という縄跳びも独壇場だった。後輩たちが二重跳びでもたつく中、連続160回を成功。他チームから合宿に招待されていた30歳の有力ジャンパー、竹内択(北野建設)が思わず「何の選手になるんですか」と目を丸くするほどだった。

 綿谷美佐子トレーナーは年齢を感じさせない運動能力について、「関節も筋肉も柔らかい。普通は加齢とともに硬くなるけど」と驚嘆する。過去には「筋肉を採取して生体検査をしたい」と持ち掛けたこともある。

 超人的な肉体に秘密はない。本人が「当時の蓄積があって、ここまでくることができた」と振り返るのは、20代の時に積み重ねた途方もない練習量。社会人となって最初に所属した地崎工業(1998年廃部)では、1500メートル走を3本行った後、200メートル、100メートル、50メートルを10本ずつ走る。それだけで終わらず、筋力トレーニングでも徹底的に体を追い込んだ。

 皮肉にも当時は、鍛え上げた筋肉の反応が良すぎて、ジャンプの飛び出しの瞬間に力が抜ける状態が続き、なかなか成績に結びつかなかった。それでも前向きな気持ちを失わず、試行錯誤して体力と技術を調整。過去に何度もあった競技のルール変更にも適応してきたベテランは、ジャンプの神髄を「心体技」と自身の独特な言葉で表現する。

 トレーニング内容は今もハード。周囲から「そろそろ体にガタが来るぞ」との言葉も聞こえるが、かつての壮絶な修練を経て、自分に最適な練習量を把握する。体が発する「まだまだいける」という声が、生ける伝説を突き動かしている。

木と木の間に張ったロープの上でバランス感覚を磨く葛西

木と木の間に張ったロープの上でバランス感覚を磨く葛西

論より背中で導く

 ジャンプ界のレジェンドは、所属先の企業チームで2009年から監督兼任の「プレーイングマネジャー」として後進の指導にもあたる。就任時の社長で現副会長の川本謙・スキー部総監督は、葛西を主将から昇格させた人事について「経験で右に出るものはいない」と説明。今も「見えないところで努力をし、仲間と一体になる。理想の姿だ」と人間性にほれ込んでいる。

 01年、当時所属したマイカルが経営破綻に見舞われた。景気低迷により国内では、複数の競技で実業団チームの休廃部も相次いでいた。そんな企業スポーツ「冬の時代」に、社内の一体感づくりを目的として、あえてスキー部を創部して葛西を迎え入れてくれたのが現在所属する「土屋ホーム」だった。

 葛西はマイカルで苦楽をともにしてきた選手仲間も、一緒に受け入れてほしいと願い出た。その思いに川本氏は心を打たれ、葛西もまた恩を忘れない。同社は支店長も最前線で営業活動に努める。葛西の「監督兼任」も同じ。社風とも言える役割を快く引き受けた。

 指導はシンプルだ。率先して練習に打ち込み、その背中を手本として見せつける。チーム唯一の女子選手で、昨季のW杯で初優勝を含む5勝を挙げるなど急成長した伊藤有希は「世界中で誰よりも経験を積んだ監督と同じチームで一緒に練習できる。私を含めて恵まれている。付いていけば間違いない」と信頼を寄せる。

 高みから技術論を振りかざしたり、押しつけたりすることもない。大切にしているのはチーム内の雰囲気づくり。時には自らムードメーカーも買って出る。お笑い芸人のネタを口にして、緊張を解きほぐす。「やっぱり選手の気持ちに立ってストレスのないように。人間関係も気にしながらやっている」という。

 苦い経験があった。「鳥人」と呼ばれたフィンランドの名ジャンパー、マッチ・ニッカネンを指導したカリ・ユリアンティラ氏が05年から5年間、日本チームのコーチに就いた。だが、当時の葛西には既に豊富な経験があり、一方のコーチにも自分の指導論に対する自負があった。

 お互いに反目する日が続き、理解し合うまでに長い年月を要した。「心を割って話せばちゃんと理解できるのに、その数年間はもったいなかった」という反省を今に生かしている。

7度目の五輪となったソチ五輪で、個人では初めてメダルを獲得した葛西。平昌では、より輝く色のメダルを目指す=2014年2月、ソチで

7度目の五輪となったソチ五輪で、個人では初めてメダルを獲得した葛西。平昌では、より輝く色のメダルを目指す=2014年2月、ソチで

妻子の応援 活力に

 2014年ソチ五輪後に結婚した怜奈さん、昨年1月に誕生した長女の璃乃(りの)ちゃんの二人が、世界に挑み続ける葛西の励みになっている。

 五輪プレシーズンの昨季、日本男子ジャンプ陣は苦悩の中にいた。昨年11月のW杯開幕以降、試合でなかなか結果を出せなかったからだ。踏み切りを最適なタイミングに合わせるため、葛西も目線や重心の位置などの修正を繰り返していたが「何十年も跳んでいるのに、何でこんなに合わないのかと笑えてくる」。もどかしさを苦笑いで包み隠すしかなかった。

葛西紀明の五輪全成績

 昨年末、札幌市内の自宅から再び遠征に出発する葛西に、怜奈さんが持たせたのは乾燥納豆。「奥さんが仙豆(せんず)と言って渡してくれた」。仙豆は人気漫画「ドラゴンボール」に登場する架空の豆。一粒口にすると、途端に体力が回復するアイテムだ。粋な計らいに「パワーを出して頑張りたい」と気持ちを奮い立たせたという。

 璃乃ちゃんも強い味方だ。「家に帰ったら、すぐ抱きついてきてくれた。癒やされた」と目尻を下げる。遠征先から帰宅するたびに英気を取り戻した。いつも応援してくれた母親が20年前に他界し、昨年1月には長く闘病を続けた妹も亡くした葛西の活力源は、今もまた家族なのだ。

 復調の兆しを見せたのはシーズン終盤の今年3月。得意とするフライングヒルで2度表彰台に立った。五輪にはない種目だが、ヒルサイズが200メートル超もあるモンスターサイズの台からのジャンプ。「調子が上がれば、フライングヒルもノーマルヒルもラージヒルも関係なくなる」。五輪シーズンに向け、大きな自信と手応えをつかんだ。

 中学3年の時、札幌市内で行われた大会のテストジャンパーを務めた。大会成年の部の優勝者の記録を上回る飛躍で話題を集め、19歳で五輪に初挑戦。これまで五輪7大会に出場した葛西について、所属先のスキー部総監督で結婚式の仲人も務めた川本氏は「45歳の葛西が今もなぜ跳べるのか。本人の努力に加え、家族や会社で応援してくれる人たちが、みんなで支えてくれるから」と話す。

 一人のジャンパーを中心に輪を広げてきた「葛西ファミリー」。平昌五輪の出場には、まず新シーズンのW杯で結果を出すことが必要となる。「たくさんの五輪に出られるのは幸せなこと。でも幸せだけじゃ済ませられない。金メダルという一番の目標に向かって頑張りたい」と葛西。周囲の期待を乗せたジャンプが夢への活路を切り開く。

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