勝負の瞬間 逃さない

女子マラソン鈴木亜由子選手、2020年の誓い

五輪の花形種目となるマラソン。東京五輪に向けて東京から札幌へのコース変更もあったが、注目の高さは変わらない。昨年9月の「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」で女子2位となり、代表内定をつかんだ鈴木亜由子選手(28)=日本郵政グループ=が、2000年シドニー五輪で金メダルに輝いた高橋尚子さん(47)=本社客員=と対談し、メダル獲得を目標に掲げた。(1月1日の紙面に掲載した対談記事の詳報と動画をお届けします)

2019年9月のMGCは何とか2位

高橋 (終盤に失速した)昨年9月の代表選考レース「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」は苦しい戦いになりました。

鈴木 マラソンはこうなるんだって怖さを実感して、このままではいけないんだ、次はやらなければならないと思った。中間点を過ぎたあたりで、このまま行けるかなと不安がよぎって、いったん自分のペースで行って、後半、(レースが)動いてきたら行こうという思惑はあったのですが。そこまで甘くはなくて。前半でスピードに乗り切れずに足を使って、スタミナ切れを起こしてしまいましたね。(初マラソンだった2018年8月の)北海道マラソンは自分のペースでできて。ハーフを過ぎた時点で、これ以上、落ちることもないだろうな、あとは上げるだけだなと。今回は途中で「これ以上、(ペースを)上げることはできないな」と、エネルギーを何とか(ゴールまで)持たせようと。悔しいんですけど勝負にならなかった。五輪に出たいという思いだけで、何とか2位を死守する走りに徹しましたね。25キロ、30キロあたりで、今回は覚悟しないといけないなと思いました。

MGCで2位でゴールする鈴木亜由子(潟沼義樹 撮影)

すずき・あゆこ  1991年10月生まれ。愛知県豊橋市の豊城中、時習館高を卒業。名古屋大に進み、卒業後は日本郵政グループ女子陸上部に所属。2016年リオデジャネイロ五輪では5000メートルと1万メートルの日本代表。初マラソンは18年8月の北海道マラソンで、2時間28分32秒で優勝。19年9月のマラソングランドチャンピオンシップは、2時間29分2秒で2位。154センチ、38キロ。

高橋 レース後はうれしかった? 悔しかった?

鈴木 悔しいのが大きいですね。うれしいというか、安堵(あんど)というのが大きくて。今のままでは全然戦えないとあのレースで分かりました。五輪本番は、さらにスピードのあるレースになると思うので、覚悟を持ってやらないとと思っています。

高橋 何が足りなかったと思いますか。

鈴木 基本的な「器」を大きくしないといけない。2時間を普通に走れるようにして、そこから質の高い練習をしていかないと。今までは練習のモデルのみを考えてやってきました。(MGC直前は)3カ月、継続して練習ができていて自信はありましたが、実戦的な練習が不足していた、レースのスピードに対応できなかった。でも基盤はできはじめているので、練習の質を高めていければ、伸びしろはあると思います。

札幌へのコース変更も

高橋 五輪までの7カ月は長い? 短い?

鈴木 ちょうど集中できる期間なのかなと思います。長くも短くもなく。

高橋 マラソンが札幌開催と決まって、率直にどう思いましたか?

鈴木 戸惑いが大きかったですね。(MGCで)一度走ったというアドバンテージがあると思いましたし、高橋尚子さんとかがゴールしているイメージを持ちながらやっていたので。

高橋 スタジアムゴールですね。

鈴木 はい、そこは残念だと。ただ、札幌は1度走って(MGC出場権を取った)縁起の良い土地。自分にとっては良いのかなとプラスに働くかなと考えています。

高橋 選手ならばスタジアムでゴールしたい。(暑さ対策の)積み重ねもあって、科学班の総合力もあって。ただ、亜由子ちゃんの走り方は札幌の方が合っているように思います。

鈴木 合ってますかね。

高橋 東京のコースは、後半の上り坂では、相当、脚の筋力が強い人でないと。スピードを生かすためには、アフリカ勢も同じことが言えますが、亜由子ちゃんにとっても札幌の方が合っているのではないかと。(MGCの30キロ以降のように)途中で足が止まるようなことはないと思います。

鈴木 勇気が湧きますね。自分の特性をいかせるかな。その期待に何とか応えたいです。

Qちゃんから見た鈴木選手

高橋 私は、積み重ねの練習をすれば、亜由子ちゃんは2時間17分は簡単にいくと思っています。あとはスタミナとけが。マラソン練習を始めて脚の力も付いて、けがは減ったのでは?

鈴木 けがは以前より減ってきています。気になるところはありますが、そこは(痛みを)逃がしながら、あるものと考えて、しっかりと継続できている。次の段階に行くには、けがを恐れずにトライしていく時期なのかなあって。五輪を考えると、がむしゃらにしないといけないと次の段階には行けないと覚悟しています。

2000年シドニー五輪で走る高橋尚子(千葉一成撮影)

たかはし・なおこ  1972年5月生まれ。岐阜市の藍川東中、県立岐阜商業高で学び、大阪学院大から実業団に進んだ。マラソンは1998年の名古屋国際女子で初優勝し、以来6連勝。2000年シドニー五輪で金メダルを獲得した。01年ベルリンマラソンで2時間19分46秒の当時の世界記録を更新した。08年10月に引退。現在は日本オリンピック委員会理事、日本陸連理事。愛称は「Qちゃん」。

高橋 私も、アテネ五輪金メダルの野口みずきさんも、何度もそれを乗り越えてきました。この練習をできなければ世界では戦えない、でも、けがをするかもしれないというのはぎりぎりのライン。私も野口さんも、(けがを恐れるより)やる方を選ぶ。2008年北京大会は、野口さんはけがで出場できなくなるショックなこともありましたが、それでも(メダルを取れる)可能性があるならばやる。休まないといけないけがか、やれるけがかを見極めて練習を積むことも大切な時期ですね。

鈴木 自分を追い込んでいかないとその先には行けないと思います。

高橋 私は、マラソン本番の7~8カ月前から練習を始めていました。時期を区切って、その区切りごとに目標を設定して。私の場合、まず最初の2カ月はスタミナに特化する。週に3回くらい、42キロのウオーキングを入れるところから始めて、朝から晩まで、精神的にもきつい練習でした。そして、高地で速さを求めずに30キロ以上の走り込みを積み重ねることで脚の筋力をしっかりとつけます。土台を固めて、だんだんスピードを乗せていってピラミッドをつくる感じにしていました。亜由子ちゃんは天才的な素質があるので、やればぴょんと上に行けると思います。五輪までの7カ月を最大限に利用して、とにかくけがをしないように。アドバイスをするなら、最初に肉体をつくっておいて、そこからレースなどでスピードを加えて、最後に距離の中でペース変化やスピードを乗せることができれば。十分に戦える力は付けられると思います。やはり、脚の強さが大切かなと。

五輪までの道筋、徳之島や米国で合宿

鈴木 年末から年明けにかけては徳之島(鹿児島県)で合宿し、その後は米国アルバカーキで合宿を行ってから、30キロのロードレースに出場する予定です。マラソンとまではいかないものの、スタミナ対策として。そこは結果を気にせず、マラソン練習につながるヒントを得られれば良いなと思っています。4、5月はスピードを追わずに土台づくりをしたいと思っていて。本格的には6、7月、米国ボルダー(での高地合宿)になると思います。

高橋 自分の中でしっかりとビジョンを持てていて、期間ごとに区切ってビジョンがあるのはいい。それは五輪に向けて大きいと思いますね。

鈴木 最後つぶれてもいいという、最初から行くというレースはあまりしたことがないので、そういう経験はしておきたいかなと。自分がどうなのか確認もできますし。

高橋 意外といける、と手応えになることもあります。本番までに、引き出しを増やすことが大切と思います。ところで、初詣に行く神社はいつも同じところですか? 勝負の年ですが、お参りする、絵馬に決意を書くなら何と書くでしょう。

2020年の初詣では? 目標は?

鈴木 実家にいれば地元豊橋の神社に行きますが、徳之島で合宿していても、近くに神社があるので、そこに行きます。かつて、徳之島で引いたおみくじと、地元で引いたおみくじの内容がそっくりなことがあって。いい内容で。割とそういうのを信じる方なので、迷ったときとかはおみくじの内容に沿って行動してみて、そしたらいい方向に行きました。今年は「越える」をテーマにしたいと思っていて。絵馬に書くなら「自分の殻を破る」。MGCの自分を越える。課題を越える。もう一段、二段、上に行きたい思いがあって。しっかり覚悟を持って練習して、スタートラインに立って、自分の力を最大限に発揮したいと思っています。

高橋 一段、二段上とは具体的にはどんな結果が出れば達成できたと言えますか?

鈴木 しっかり戦えたというものがあれば。やるからにはメダルを目指していきたい。その覚悟でやらないと、甘えが出てしまうので。

五輪の舞台に対する印象

高橋 五輪の舞台に立つプレッシャーはないですか?

鈴木 ないと言えばうそになりますが、大舞台でしか出ないアドレナリンもあると思っているので、自分に追い風になるプレッシャーだと思うので、自分に期待はしています。

高橋 (2016年リオデジャネイロ五輪や世界陸上の)5000メートル、1万メートルは全然緊張しなかったように見えました。

鈴木 海外勢は強くて当たり前なので、あまりプレッシャーなくできます。自分の力を出すだけ、あとは走るだけという状況なので。嫌なプレッシャーというか、硬くなるようなものはありません。

高橋 MGCは超えないと次がないので、すごく緊張しているように見えましたが。

鈴木 そういう意味では、五輪では開き直って(スタートラインに)立てると思います。その前の段階の方が苦しいと思うので、その過程を乗り越えられたら、開き直っていけると思います。

ライバルたちへの視線

高橋 世界を見れば、昨年10月にケニアのブリジット・コスゲイ選手が2時間14分4秒の世界記録を出しました。そこと戦うには何が必要でしょうか。

鈴木 そこに一気に到達するのはどう考えても厳しいので、自分が可能であるぎりぎりのペースを設定して、そのペースが楽に感じるように、体に覚え込ますような練習が必要だと思っています。

高橋 メダルが最終目標なら、そこと戦わないといけないですしね。

鈴木 札幌でも暑さはあるので、日本開催の地の利もあるので、何かしらチャンスは来るはず。そこを逃さずにやりたいです。

高橋 (MGC1位の)前田穂南選手は数をこなしていて、前に出て失敗した経験もある。彼女が考えていたのは、レースをコントロールする力がないと勝てないこと。そのプレッシャーを克服するのはMGCが一番だったんですね。一度やって、イメージを持って五輪に臨める。鈴木選手も1万メートルなどは前に出てレースを引っ張る。マラソンでもレースをコントロールする方法と、前に出る度胸。引き出しの多さが今後の課題になると思います。

鈴木 1つ新しい試みがあって。今までは1人で練習をしていましたが、男性のランニングパートナーを付けようと思っていて。最初から速いペースで走る練習をするので、ペースの感覚を引き上げて、30キロのレースに出たいと思っています。人と競ってやる練習が不足しているので、新年から人と走って、そのペースをもらいながら走る。自分の中でブレーキをかけてしまい、行けなかったということが結構あると思うんですよね。積み重ねると大きな差になると思ってます。

高橋 人に付くことで自分の力を最大限、楽に出せる走り方ができます。動きも楽な軌道を見つけることができます。省エネ走法というか。マラソンって楽な部分をいかに楽に走るか。そこの研究を、1人よりもパートナーがいた方ができると思います。

高橋さんへの質問

鈴木 レース中、行けるというタイミングの見極めはどうやっていましたか。

高橋 後続に簡単に付いてこられて、離し切れないと心のダメージが大きいので、仕掛けるならば一発で決めることが大切。相手がちょっと沈んでいる時を見つけないといけない。足音が大きくなったら前への推進力が落ちてきているとか、汗が出ていたら消耗しているなとか、呼吸の乱れは分かりやすい例ですが。相手の反応が遅くなったとか。残りの距離、自分の余力、相手の状態という要素が重なる時は、レース中に何回もあるわけではありません。その少ない瞬間を逃さないこと。シドニーでは一気に出ましたが、「どうしよう」とか迷っていたらリディア・シモン選手(ルーマニア)を離せなかったでしょう。

鈴木 スパートの時は、相手が苦しいと分かったのですか?

高橋 サングラスを沿道に投げようとして少しペースを上げたら、それが中継のバイクに当たって戻ってきてしまった。その間にシモン選手が距離を詰めなかった。その反応の遅さを見て、苦しいんだ、今だと。相手が沈んでいる瞬間を見ることができた。30キロをすぎたら、常にアンテナを張っておくことです。

鈴木 逆に序盤はぼーっと(笑)。

高橋 そうそう。20キロかなと思ったらもう23キロだとか。15キロと20キロでは給水を忘れたくらい。ただ、最初の5キロは大切です。強い選手は「たまたまその位置取りをしている」ということはない。自分のベストポジションを見つけておく必要はあります。

鈴木 要所を押さえながらぼーっと、という(笑)。

高橋 その後は、どうやったら一番楽な走り方で走れるか。楽な脚の動きの軌道や、脚の使い方。そちらに気持ちをスライドします。

鈴木 MGCでは楽に行きたいところできついなと思ってしまって。精神的な余裕がなくなってしまって。ただ、MGCであの苦しい状況を耐えられた我慢強さ、そこは自信を持っていいかなと思ったので。あれ以上(の苦しさ)はもうないだろうと思うので。

ファンに向けて

高橋 では、ファンのみなさんに一言、お願いします。

鈴木 五輪イヤーは、大舞台でしっかりと自分の力を最大限に発揮するために覚悟を持って練習に取り組んで、たくさんの方が応援してくれているマラソンでメダルを目指して頑張りたいと思います。

(2019年11月29日、東京都内で)

高橋さんからの金言を動画でも