わくわく感 止まらない

自国開催 応援で後押し

須田亜香里vs土田和歌子 新春対談

東京パラリンピックは8月25日から、13日間の日程でいよいよ開催される。本紙特約記者として大会を取材するのは、アイドルグループ「SKE48」の須田亜香里さん(28)。魅力や見どころを探ろうと、日本人で初めて夏季、冬季ともにパラリンピックで金メダルを獲得し、車いすマラソンとトライアスロンで8大会目の出場を目指す土田和歌子選手(45)と対談した。

プロフィール

つちだ・わかこ 1974年10月、東京都生まれ。高校時代に交通事故に遭い、車いす生活に。94年からパラリンピックに出場し、アイススレッジスピードレースや車いすマラソンなどで計7個のメダルを獲得している。2005年に結婚し、1児の母。八千代工業所属。2年ぶりの車いすマラソンとなった昨年11月の大分国際で、日本女子2番手の4位に入った。

すだ・あかり 1991年10月、愛知県出身。アイドルグループSKE48・チームEリーダー。2018年にナゴヤドームで開催された「第10回AKB48世界選抜総選挙」で2位にランクイン。著書に「コンプレックス力~なぜ、逆境から這い上がれたのか?~」。中日新聞愛知、三重版などでコラム「てくてく歩いてく」を執筆中。特技はクラシックバレエ。

リハビリから競技へ

須田 土田さん、今までも多くの大会、もう7大会もパラリンピックに出場されてると思うんですけれども、土田さんにとって、パラリンピックという大会自体はどういった存在なんですか。

土田 そうですね、一言で言うと、パラリンピックとは自分自身を成長させてくれてる大会っていうところで、私、一番最初に出たパラリンピックが何と19歳だったんですよ。その時は世界の力を目の当たりにして、もう本当不安材料いっぱいで、早く帰りたいっていう気持ちになった大会だったんですけどでも、そこから、世界レベルっていうものをしっかり見て、そこに打ち勝つためには何が必要かっていうことを考えて、4年ずつのプランを立てて、進んできた道が今に至るっていうところで、自分自身を成長させてくれてる大会だと思います。

須田 4年に1回だからこそ、その期間にこの期間に頑張るぞっていうふうに目標を決めて頑張れるっていうのが、あったりするんですか。

土田 そうですね。ただ、パラリンピックっていうのはオリンピックと同様に世界最高峰の大会で、4年に1度開催される最高峰のスポーツの祭典ですよね。なので、オリンピックと同様に競技レベルの非常に高いもの、そこに自分が出場したいという強い思いがあります。

須田 お調べしてる時にお見かけしたんですけど、競技を始めてからパラリンピックまで3カ月みたいなのをお見かけしたんですけど、そんなことあるんですね。

土田 あるんですよね。オリンピックとパラリンピックの違いはそこにあって、私自身、障害を持ってから、その次の目標設定をした時に、パラリンピックっていうものがあって、その道しるべとして、98年の長野オリンピックとパラリンピックの開催が決まって、ちょうどアイススレッジスピードレースという全く日本に歴史のない競技が組み込まれることになって、その選手とコーチの育成のためにアイススレッジの講習会が開かれたんですよ。そこに遊び心で参加したのがきっかけで、ノルウェーの講師の方から「ちょっと、あなたは若いし、体の柔軟性があるので、3カ月後のリレハンメル出てみませんか」っていうお誘いを受けたのがきっかけだったんです。

須田 迷いはなかったんですか。

土田 いや、ありましたよ。19歳という年齢と自分自身、障害を持ってからわずか1年たたない時だったので、アスリートとしての筋力を持ち合わせてなかった。不安材料満載。なんですけれども、やっぱりまさったのは挑戦心。どうしてもやってみたいな気持ちがあって出場したんですよね。

須田 なるほど。怖いですよね。アイスですもんね、滑るって。普通に私がスケート場に遊びに行くだけでも結構怖いことなんですけど。

土田 そうなんですよね。やったことがなかったので、どうやったら速く滑れるのかも分からない。そこは、指導者の方と試行錯誤の日々で。でも、パラリンピックに出て、力を発揮したことによって、まあ惨敗だったんですけれども、次の4年、どういう風に取り組んだらいいのかっていうのが何となくこう見えて。また、自国開催ってすごいんですよ。パワーがあるんですよ。今までなかったその強化体制っていうのも整ってきて、もともとパラリンピックって、リハビリの一環としてスポーツというものが位置付けられていたので、どちらかというと競技っていうものからちょっと離れていたと思うんですよね。これがその引き上げられていった。要は、トレーナーの導入とか栄養指導とか、そういうものがないと勝てないですよね。そういうものが入ってきた時期だったと思うんですよね。でも、それがパラリンピック自体、私がスタートに立ったパラリンピックだったんですけれどもやっぱり自分としては、オリンピックとパラリンピックっていうものの違いはそこにあって、でも、メダルを取るためには、オリンピアン以上に正直、努力しないと表彰台には立てない。それはなぜかというと、自分の障害とその競技っていうものをしっかり引き出してレベルを上げていかないと表彰台には立てないですよ。その難しさってあると思います。

自国開催で変わる東京

須田 自国開催、日本で開催されるっていうのは、海外にも足を運ばれて出場してるからこそ、やっぱりパワーが出るんですね。

土田 そうですね。長野の一大会を経験させていただいてそう感じましたし、自分自身はリレハンメルの大会が一番最初だったんですけれども、多くの力のある選手と、そして、そこを応援する自国開催の声援の力、メディアの力、そういうものを目の当たりにして、すごく魅力を感じて、自分自身、パラリンピックという大きな目標に向かって、夢となって、取り組んでいった、その最初の原動力となった大会が自国で開催されるって、すごく鳥肌が立つことなんですよ。私は実は東京の出身で、現在も東京に住んでますし、そこで本物のアスリートの姿が見れる、見せられるっていうのは、すごく夢のあるものだと思うし、また、パラリンピックの意義とか、住みやすい環境、障害があってもなくても住みやすい環境を整えていけることに繋がっていくのではないかなっていうふうに最近感じていて。なので、自国開催はドキドキしますね。

須田 確かに、私も今まで以上に今年、東京で開催されることによって、すごく身近に感じることができているので、そこは何か通ずるものがある。海外でも足を運ばれてるからこそ、日本のバリアフリーっていうんですか、そういうものがもっと、こう進んだらいいだろうなとか、感じることってやっぱり多いですか。

土田 そうですね。2020東京オリパラが決まってからは、すごく街の風景っていうのは変わったと思うんですよ。バリアフリー化も進んできてると思いますし、そういう意味では、今までにないスピードで、いろんなものが変わってるのは感じてます。ただ、やっぱり時間がない分、何て言うんですかね、なかなか見落とされちゃってる部分があるのかな、っていうのも最近感じていて、それは何かって言うと、例えば、点字ブロックの上に自転車がポンって置かれてたりとか、新しく設置された公共の車椅子の化粧室、トイレとかに入っていくと、鏡の位置が立ってる人の位置にあったりとか、ちょっと、かわいいお店があって入ろうと思って「あっ、スロープがある」って喜ぶんですね、「私たちも行ける」って思ってこう上がっていくと、その扉が、開き扉の位置が逆だったりとか。そのちょっとしたことが妨げになって、動線を崩すということがあったりっていうことを、日々感じるのと。あと、車椅子の駐車スペースに、私たち、車が世界観を広げるためにとても必要なもの、移動の手段として必要なものなんですけれども、車椅子を置くスペースに全然障害のない方たちが止められてしまっていたりとか、そういうことも多々あるのはちょっと不便だなと思いますね。

須田 そうですね。でも、これを機に、この記事を読んでくださった方から、少しずつでも気づいてくださったりとか、いいですよね。

司会 それは、器だけじゃなくて、人々の関心と言いますか、意識が変わらなくてはいけないってことですかね。

土田 はい。やはりそれはとても感じます。ただ時間がない分、みんな慌てて、その先を急ごうっていうところで、なかなか気付けない部分っていうのはあると思うんですけども、そこはしっかり見てもらいたいなと思います。

須田 そうですね。共存するというか、一緒に快適に過ごすためにはすごく大切なことですもんね。

土田 最近よく言われているのが、オリンピックの選手たちが使いやすい環境を考えるっていうような場面で、まず、パラリンピックの選手が使いやすい場面を考えるっていうのを優先して、それをすることで、みんなが使いやすい、幸せになれるっていうところに着目してもらえてるのが、すごく嬉しいなと思います。

須田 日本開催はやっぱりすごく大きい。みんなにとってプラスになると。

土田 そう思います。

沿道の声援の力

須田 記録が、世界記録の、土田さんがうち立てた1時間38分7秒というスピード、時間内で走ることは、時速25.8キロって、めちゃめちゃ速いと思うんですけど、どんな気持ちなんですか。

土田 そうですね。速く走るために改良された乗り物に乗っているので、よりスピードを出したいと思っているんですよ、選手は。なので、スピードを体感できると爽快感というものもあるし、あとは42.195キロの中で繰り広げられる、選手との、戦略みたいなものもあって、トラックの陸上競技であれば、100メートルからの種目があって、その中でも多くの選手と戦う中で戦略っていうのもあるんですけど、やっぱり、42.195キロ走ってやるマラソンの中の魅力っていうのも非常にあるので。それは私の楽しみ、面白みっていうものにもつながってるかなと。

須田 でも、その速さで走れるようになるまでは、改良されてるとはいえ、すごく大変な訓練も重ねるわけじゃないですか。

土田 そうですね。

須田 やっぱり、つらいなって思う時もありますよね。

土田 そんなにやっぱり簡単なことではないので、「日々鍛錬」じゃないですけど、努力をして、そして得ていく技術っていうものもあると思います。ただ、今こうして紹介していただいたんですけど、残念ながら、こないだの11月に世界記録は更新されました。

須田 そうなんですね。

土田 さらに上の記録が出ているので、世界のレベルというのも非常に上がってきてますし、また日本人の若手のランナーたちも育ってきているので、そういう意味では、今よりもっと、今までよりもねハードルはすごく高くなってるんですけどまだまだ私も負けてられないんで、頑張りたいと思っています。

須田 やっぱり、塗り替えられると燃えますか。

土田 燃えますよね。

須田 負けず嫌い?

土田 もう典型的な負けず嫌い。

須田 なるほど。やっぱりそういうのが原動力になってる部分は大きいんですか。

土田 大きいと思います。ただね、しっかり自分の力っていうものは向き合わなければいけないので、そこは負けず嫌いだけではないものっていうのをしっかり受け止めて、で、出す。

須田 負けず嫌いは私もすごく同じなので。

土田 ですよね。でないと、なかなか上がれませんからね。

須田 そうですね。日々、人と比べちゃダメだとは思うけど、人と比べることによって燃える部分とかやっぱりあるので、なんか何でもできるって信じてやりたい。

土田 輝いている理由ですね、それが。

須田 だといいなと。すごく応援って力になると思うんですけど、どういった応援がうれしかったなとか、今まで、この言葉が印象に残ってて原動力になってるなとかもあったりするんですか。

土田 結構、マラソン走ってると、沿道の声援の声ってよく聞こえるんですよ。その中でも、名前を呼んでくれるとすごい力になります。例えば、誰も知らないようなマラソン大会に出て、沿道の声援で「和歌子」って呼ばれるとすごいテンション上がる。海外へ行った時なんかに呼んでくれたりとか、ゼッケン番号で呼ばれる時もあるんですけど。

須田 それもうれしいですね。いま知ってくれたんだって感じがしますよね。やっぱり声援は力になる。

土田 なります。

須田 今まで、例えば、こういうこと言われてうれしかったなとかもあるんですか。この言葉が印象に残っててとか。

土田 走ってて?

須田 走っててとか、じゃなくても、例えば、家族にこうやって言われた時、頑張ろうって思ったとか、友達からこうやって言われてとか。

土田 そうですね。何かあんまり日々、みんなで奮い立たせて、よし頑張ろうみたいなのは家族の中でもあるかな。

須田 日常ですね。

土田 そう。

須田 なるほど。

土田 もう一つだけ、応援で印象に残っているエピソードがあって、2012年のロンドンパラリンピックだったんですけれど、最終日のマラソンのレースで、私、ちょうど23キロ地点で転倒したんですよ、先頭集団にいたんですけど。先頭集団で転倒したんですよ、縁石に体を打ちつけて、もう起き上がれない状態になったんです。みんなもうリタイアするかなっていうような状態だったんですけど、自分で起き上がって、走り出そうかなと思った時に、人が寄ってきて「もうリタイアするよね」って言われたんですけど、「いや、まだ走ります」っていうことで、走り出そうと思った瞬間に、すごい細い道、路地だったんですけど、さすがマラソン大国でね、日本の日の丸とか、ユニオンジャックとかいっぱい掲げられてて、日本人ももちろんいました。海外の人もものすごい応援団がいて、地鳴りのような歓声が湧いたんですよ。その力がすごい湧いてきて、一人抜き二人抜きって、こう頑張って最後まで走り切れたっていう記憶があります。なので、国を問わず応援してくれる、その声っていうのは選手のすごく力になる。

須田 今回、日本で開催で、日本の方はもちろんだけど、海外の方も、応援したいなって思ったタイミングで、私たちが応援することによってまた新しい化学反応が起きていくかもしれない。

土田 思います。

須田 なるほど。その話、いま鳥肌が立ちました。

土田 そんなことがあったので。それが、応援の力ってすごいなっていうのをずっと感じてきて、力をもらってる、原動力でもあるかなと思います。

須田 私たち、普段、普通に生きてたら誰かの力になれるってことって少ないと思うんですけど、そうやってたまたま来てくださってた方もいるかもしれないけど、その方は土田さんにとってすごく力になれたってことだから、行く価値はかなりありますね。

土田 やっぱり、成功っていうものは、応援してくれる人の力がなければならないし、応援してくれるっていうのは、その大会を支えるっていうことでもあると思うので、すごく大事な役割なんだと思います。

須田 なるほど。応援してくれる人なしには成り立たないですね。

アイドルにとっての応援

須田 アイドルのファンの人って特殊だなって私は思ってて、初対面で、私がどんな人、私生活でどんなにだらしないところがあるとか、そんなの関係なく、人によっては、パっと見てこの子はずっと応援するって決めてくれる人とかもいたりとか。何でしょうね、ひとめぼれというか、別にそんなにすごい容姿がいいわけでもないのに、パッと一目見てずっと応援するって言ってくれたりとか、パフォーマンスの一瞬を切り取って、次も私だけを応援するって言う人がいてくれたりとか、何ですかね、何か、この一瞬、自分の一瞬だったり一つの面を切り取っただけなのに、そこを見て好きになってくれたり、応援してくれたりっていうのもすごく私には新鮮で、なんかにSKEに入るまでアイドルになるまで、何か一人で生きていけるぐらいの、強いギラギラしてて、そういうところがあったんですけど、アイドルになって人に支えられて生きたりとか、何かパワーを貰ったりとかするって、こんなになんか自分の気持ちを豊かにしてくれるというか。

土田 気付いちゃったんですね。

須田 気付いちゃいました。人と共存することの喜びをいっぱい日々かみ締めてますね。

土田 すてき。

須田 一人じゃ生きられないですもの。

土田 本当そう思います。でも最初は、やっぱり、強さがあるからそこに移行できるんだと思うし、だから輝いているんだと思いますよ。

須田 うれしい。

司会 須田さんはどうなんですか。ファンでこういう場面で勇気付けられたとか、そういうエピソードって何かありますか。

須田 いくつかありますが、そうですね、ずっと、私、結構笑顔のイメージを持たれることが多いし、確かに人前に立つ時に、笑顔でいることを、最初デビューした頃からずっと大事にしてきたんですけど、笑顔が好きだよって言ってくれるファンの方がいらっしゃったから、笑顔じゃないと私って嫌われちゃうんだって、勝手に思っちゃってたことがあって。で、前に選抜総選挙が、今年は開催なかったですけど、今までもう10回開催されてきた中の9回出場、出馬してたんですけど、その順位が大幅に落ちちゃった時に、1票につき1000円、千何百円かかかる、CD1枚で1票の投票なので、みんなが日々働いたりとか、お小遣い貯めてくれたものを私に捧げてくれてるのに、順位が落ちたことによって、票をたくさん入ってるのに順位が落ちたからって、ステージで大号泣したことがあったんですよ。その時に、ステージでちゃんと感謝を伝えられなかったり、笑顔で立てなかった自分は、もう嫌われちゃう、もう駄目だって思ったんですけど、その時に、泣いたり感情を出したりしたことによって、もっと好きになったよ、もっと支えたいと思ったっていうふうに、こんなの出したら嫌われるって思った部分を出したのに言われた時は、何か、何だろな、応援以上の、愛情を感じましたね。

土田 いい自分でいようっていうことではなく、今の自分を見せるっていうのがね、大事なのかもしれないですね。特にそういうお仕事。

須田 そうですね。表側、結果だけじゃなくて裏側も含めて見せたり、見てもらうことによってファンの方との絆も深まっていくのが。

土田 応援者が増えるっていう。

須田 不思議だなって思いました。

土田 なるほど。勉強になります、私は目指してないですけど。

須田 皆さん、応援してくださっている方も多いからこそ、やっぱりね、ファンの方も結果だけじゃない部分を見てくださる方もきっと多いと思うので、通ずる部分はきっとあるのかな。

トライアスロンに挑戦

須田 競技、もう一つ増えるんですか。そのネットで両方お見かけして、それって前代未聞?

土田 前代未聞。そうですね。やってる人はいないかなとは思います。

須田 そうですよね、2競技。

土田 ただ、海外にはいます。競技は違いますけどね。2種目2競技をやってるっていう選手は他の国にはいるんですよ。

須田 で、日本初になるかもしれない。

土田 いま行けたらね、カッコいいですけどね。まず、行けるためにやっぱり出場権を得ないといけないんで。

須田 やっぱり行きたいですか。

土田 行きたいですよ。しかも東京です、開催は。やっぱりそこでみんなに自分の力、パフォーマンスを見せれる、勇姿を見せれるっていうのは、この上ない選手としての喜びになると思うし、すごくワクワク、自分が選手でいるって姿を想像するのが、やっぱりわくわく感が止まらないです。

須田 すごい。何だろな、なんか、エネルギーがすごいあふれてるな。最初にお会いした印象から、笑顔からもうパワーが、エネルギーが、すごい強いって思って、なんか、その印象を受けたので、それは多分、人となりだけじゃなくて、アスリートとしての頑張りとか、結果にもつながってるだろうなと思いながら。

土田 なんかありがとうございます。褒められて。

須田 本当にかっこいいんだって印象です。

司会 体力的にはどうですか。

土田 もう大変ですよね。また更に、もう一個進化を狙わないと、表彰台には立てないと思いますし、残りの期間でどれだけできるのか、これは挑戦になるとは思うんですけど。

須田 ですし、競技が違うことによって、使う部分、トレーニングする部分とかもやっぱり変わってきますよね。

土田 そうなんです。競技特性というのがあるので、トライアスロンの場合は3種目あって、スイム、海で泳いで、で、バイクに乗り換えて、私たちはホイールチェアなので、手で漕ぐ自転車があるんですけど、そのハンドバイクに乗り換えて、20キロ走ってまた乗り換えて、これまで乗っていたマラソン競技で使うレース用の車イスがあるんです、それでランパートを走ってゴールするんですけれども、その動き、動作が三種三様で、乗り方も違うし、乗っている体勢が違うんですよ。泳ぐ時ってこう下に向いて泳ぎますね、ハンドバイクは上を向いて漕ぐんです。お空を見て漕ぐんです。で、最後また前傾姿勢した乗り物でゴールするんです。なので、動きも違いますし、体勢も違いますし、切り替え動作っていうのを速くしないと、そこでもたもたしてたら先頭は行かれてしまうので、その難しさっていうのはあるんですよ。

須田 なるほど。その道具が増えるというか、道具っていうんですか、なんていうんでしょう、乗り物が増えることによって、乗り物一つ一つも大切になってくると思うんですけど、選ぶこだわりとか、体の一部なわけじゃないですか、やっぱりこだわりは?

土田 ありますね。やっぱり何に乗りたいのかっていうのは重要だと思うし、自分の体とその乗り物を一体化させていくという、体力だけではいけない、そこの技術面っていうのが伴ってないと、なかなかスピードには結びついていかないので、そこは難しさでもあるんですけど、楽しさでもある。

須田 無知だとは思うんですけども、道具は買ってきたから、よし競技できるぞってわけじゃないじゃないですか。自分の体に合わせたものを作るところ、職人さんとの相談みたいなものもやっぱり大事?

土田 作り手と乗り手の意見交換をして、ちょっとした、例えば、この幅が1ミリ2ミリもう少し幅を狭めたいとか、そういう意見というのはたくさん出てきますよね、乗り手として。そこをいかに乗り物に反映してもらえるのかは、作り手さんの力になるので、一人でやってるっていう感じじゃない。多くの人との連携がないとそこは完成されないので、一つの競技なんですけど、みんなで作り上げるみたいな一体感みたいなものはありますね。

須田 じゃ、本当にゴールに向けてみんなで気持ち合わせるっていう。

土田 チーム感みたいもの、出ますよ。

須田 何人ぐらいの方が関わるんですか。

土田 いやでも、さっきおっしゃってた、応援する人たちも含めると、すごいじゃないですか、そういう人たちを含めてのチームだし、実際、現場で関わってくれるサポートっていうのは限られてるかもしれないですけども、目に見えない力というものも働いているので。そこは、人数は分からない。

須田 なるほど、無限だ。まだ広がりますね。

本番のルーティーン

須田 試合のルーティーンとか、あるんですか。アスリートの方...

土田 あの、靴を右から履くとか?特に決めてないです。ただ、ルーティーン化されてはいると思うんですよ。自分では意識してないけれども、もうこうやってこうやってこうやってっていう段取りはできてるとは思うんですよね。でも、こだわってやってるものっていうのはあんまりなくて、ただ本番の緊張感というものを取り払うために、トレーニングで常にレースをイメージする場面っていうのを練習の中でつくってる。

須田 イメージトレーニング?

土田 練習でも、レースを想像して練習するという場面を必ずつくる。その気持ちの中で。すごい疲れるけど。

須田 今ここまだ中間地点だからまだまだっていうところで。

土田 もしこれがレースだったらっていう、疑似的なものってのもすごく大事になってくるので、そういうのを考えるようにして、それをすることによって何が違うかっていうと、本番で平常心で「今までやってたことをやればいい」っていう気持ちに変わる。

須田 なるほど。本番は緊張はされますか。

土田 する時もありますね。

須田 しない時もあるんですか。

土田 しない時もある。

須田 その違いは何ですか。

土田 しない時っていうのは、いわゆる不安材料がない時で、もうわくわく感しかない、練習してきたことを全部前面に出せるって、自分が全てこう上がってるようなタイミングの時っていうのはあまりしないですね。

須田 でも、そういうときばっかりじゃない。どっちの方がうまくいくとか、ないんですか?

土田 ないですね。もちろん、整ってる、心技体が整ってる時っていうのは一番いい状態だしパフォーマンスとしても出しやすいと思うんですけど、ここにいる時も上がっていく時もあります。体感したことはありますけどね。

須田 じゃあ何だろ、不安だからダメってわけじゃないし、自信があるからいいってわけでもないし、その都度その日出せるベストで頑張ることによってどこに行きつくかっていうことなんですね。

土田 だと思います。私の場合、ごめんなさい。

須田 その方がすてきだなって思います。私、アイドルになる前は13年間クラシックバレエをやってたんですよ。その時は結構、ルーティーンとか決まり事が自分の中で多かったですよ。本番の日はこれを食べなきゃだめだとか、これをしたら失敗するとか、ありすぎて苦しかったんですよ。失敗すると、他のもののせい、自分以外のもののせいになっちゃったりとか、これがダメだ、例えば、お母さんが見に来たから失敗したって、最後になっちゃったんですよ。けど、親って家族とか、一番応援してくれてる人に一番自分が頑張ってる姿って、本当は見せてあげるのが恩返しだって分かってるけど、でも自分が失敗したのを自分のせいにできなくて、ルーティンが多すぎたせいで、で、結局母には「もう見に来ないで」っていう、ひどいルーティンをつくってしまったことがあったので。その反省もあって、SKEに入ってからは、どんな周りの環境がどうあれ、自分の心情がどうあれ、100パーセントやる、自分の責任でやるっていうふうに決めることができたので、土田さんの、緊張する時もしない時もっていうのは、すごく「その方がいいよね」って共感、そんな気がしました。

土田 すごい真面目じゃない?

須田 真面目なんですかね?

土田 私も最初はそうだったんですよ。最初から今の考え方を持ちあわせたわけじゃない。やっぱり最初はすごく型にはまったものを追い続けてて、失敗すると、自分を責めて追い込んでみたいなタイプなんですけど、それを変えていかないと強くなれない。

須田 そうですね。

土田 今、この年齢になっても、それに直面することも多くあるし、やっぱそこをどう返していけるのかっていうのは気持ちの切り替えだったりとかもあると思うので。あとは、私たちのレース、同じかどうかちょっと分からないですけれども、レースって、私は生き物だって言うんですけれども、何が起こる分かんないですよ、本当に。2008年の北京のパラリンピックでは、私一度、5000メートルで大クラッシュに巻き込まれてすごい大けがを負って、マラソンのスタートラインに立ててないんですよね。

須田 スタートラインにも行けなかった?

土田 立てなかったんです。5000メートルのレースでクラッシュしたことで大けがを負ってしまって。その時に、原因を作った選手というのがいるんですけれども、その選手たちをみんなが責めたい、周りのサポーターであったり、私を取り巻いてくれている環境っていうものは、全てにおいてそこに悪いっていうことを指摘をするんですけれども、自分としては、それが原因じゃなくて、レースっていうのは居合わせた選手の責任なんですよね。だから、やっぱりそこにいた、そこの場所に居合わせた自分がそこにいることを選択したわけだから、自分の責任だっていうことで私は消化はできてたんですよね。何か周りの人の方が、なかなかそれを受け入れられなかったっていうのは、難しさはあると思うんですけど。私は今のレースの話をしたんですけど、生きていく中でもみんなそうだと思うんですよ、自分がやってること全部すべて自分に責任があるっていうふうに捉えて、やっていくことで自分自身も責任感がわくと思うし。あとは、お母さんの応援とかはね、私も一番近い人が応援に来るとすごい気恥ずかしかったりとか、来ないでよっていう気持ちがあったりするんですけど、やっぱりそこはいい姿を見せてあげることが大事だなっていうのを、今聞いて思いました。

須田 恥ずかしいですか、家族。

土田 恥ずかしいですよ、やっぱり。一番近い、素の自分を知っている人とか、どっちかというと外でも素なんですけど、さらにその家の中だと素性が分かるじゃないですか、それを知ってる人たちに見られるっていうのは何となく気恥ずかしい。

須田 くみ取られちゃったりするんじゃないかなっていうのは恥ずかしいですよね。

母親として

須田 お母さんなんですよね。ご出産されて。意外だなというか、こうならなかったのかって思ったのは、出産のタイミングで引退っていうふうには、選択肢とかはあったんですか。

土田 ない。その時はなかったです。

須田 でも、される方も選手の中にはいらっしゃいますね。

土田 はい。私はちょうど出産する前の一大会が2004年のアテネのパラリンピックだったんですけど、5000メートルとフルマラソン、2種目にエントリーしてて、5000メートルで金メダルで、マラソンで銀メダルだったんですよ。金メダルを取ったからもうみんな達成もしてるし、いいじゃないかと思われがちだったんですけど、私の次の4年を変えたのは、このマラソンの銀メダルだったんです。というのも、ゴールラインを踏んだ瞬間に金メダル取りたいと思った。その前を行く選手が先輩の日本人の選手だったんですよね、ランナーだったんです。日本人でも世界の頂点に立てるっていうことをやっぱり感じた大会だったし、自分もメダルを取りたい、強く取りたいと思ったのが、その大会のゴールラインだったんですよ。

須田 ゴールの瞬間に。

土田 瞬間に次をイメージして、次の4年って思ったちょうどその2年後に女性においての一大イベントも経験させてもらって、心境の変化もあって、結婚して出産という経験をさせてもらったんですけど。なので、その間も私にとっての目標は次の2008年の北京だったんですよ。だからそこは揺るぎなく、揺るぎない意志を持って過ごしてきた期間なんですけど、でも言っても、そんな簡単じゃなかったですよ。

須田 体とか変わっちゃったりしますよね。

土田 体も変わりますし、子育てっていうのは、産んだら終わりじゃないんですよ。イレギュラーなものがたくさんあって、普段保育園に預けて、じゃトレーニングしましょうって言っても、子供が熱を出したらなかなか預けられなかったりとか、今まで計画を立ててきたプランがなかなかできなかったりっていうところで、臨機応変にやっていかないとなかなかトレーニングはできなかったわけですよ。すごく厳しかったですけど、自分の目標はやっぱりそこにある、北京にあるっていう強い思いで。あとは子育てだとか、地域の支援とかっていうものもあって、自分ひとりじゃないなっていうチーム的なものっていうのも働いて、自分としては今まで百パーセント喜びっていうものも、自分のものとして受け入れてたんだけれど、やっぱり喜びをみんなで分かち合いたいって思えたのが、北京への道でもあったんですよね。でも、その大会で大クラッシュが起きて、結果が残せなかったっていうところでは非常に残念ではあったと。でも、その時その一瞬一瞬は力を入れて、そして後悔なくやってこれているので、事実としては受け入れなければいけないですけど、経験、いい経験をさせてもらってると思います。

須田 全てをプラスに変えて、転換しながら、前向きに生きていらっしゃるのだな。ものすごくパワーもらいます。そういうところ、好きだな。

土田 ありがとうございます。

須田 そういう考え方、私もそういう考え方ができたらいいなと思って、ね。日々、一つ一ついろんなことを受け入れてやってる部分とか、そういう考え方を目標にしてやってる部分があるので、それを実現させてるっていうのはすてきです。

土田 まだまだですよ。まだ途中。まだこの辺まで行ってない。

須田 ご出産っていうのは、イレギュラーとかもハプニングとかイレギュラーもあったりしたけど、結果的には全てプラスになったっていうことですね。

土田 大変なことの方が正直多いですけど、喜びを分かちあえるっていう家族がいるっていうことは、大きな、自分にとってモチベーションになってるし、そこに向けて家族が努力することで、みんなが成長していくといいなって、いま思えている感じですかね。

須田 なるほど。

司会 家族の支えっていうのも結構大きいですよね、おそらく競技を続けていく上で。

土田 そうですね。なくてはならないものではあります。ただやっぱり子育てというのは非常に難しくて、年齢によって大変さというものも変わってきますし、自立してきた子供にはなるけれども、そこも向き合わなければいけない、目を背けないでしっかり向き合わなければいけないという面が多々あるので、その辺りはやり過ごさないで、しっかりやっていきたいなっていうのはありますね。

須田 じゃあ、その子育てとアスリートの両立っていう部分は、大変だけど、何か心掛けてることとかもあったりするんですか。これは自分の中で、子育てマイルールみたいな。

土田 子育てマイルール?今まではこう自由に自分のやりたいことをやらせてあげたいっていうのが常々あったんですけど、自分たちの生活の中で自分たち優先で、なかなか子供に目を向けられなくなってきていることもあるんですよ。それでも今、目指しているものっていうものを見せて、一緒に共有することで、彼がもう少し大きくなった時に、こういう風にこう踏ん張っていく、やっていくっていうようなものをね、ちょっとでも今見せられたらいいなっていうのを感じてやっています。

須田 お母さんがそんな目標を持って日々頑張ってる人ってことは、すごく特別なことだって私は思います。割と、うちの母はパートやったりとかしてて、日々すごく私中心に生活をしてくれてるのが伝わってくるんですよね。これはすごくうれしいけど、「本当はお母さんどうしたいんだろ」とか、何か気になっちゃう時もすごく多くて、お母さんの本音が知りたいなって思うことが多いので、けど土田さんは自分の目標も共有することによってっていうのは、何だろな、子どももお母さんに何か力になれることを探したりとか、一緒に頑張れるのってすごくうれしいことだって思います。

土田 でも逆に自分のやりたいことを言えなくさせてしまっていたらかわいそうだと思って、そこを常々共有するようにはしてるんですけど、いま現状では支えてくれてる方の側に今は回ってくれているんだと思います。

須田 それも生き甲斐なんだと思います。絶対そうだと思います。

期待する記事

司会 須田さんにどんな記事を書いてもらいたい、どういうところに注目してほしくて、どんな記事を書いてもらいたいと思われます?

土田 いま、こう対話をしていて、包み隠さず言ってくださる姿勢っていうのが、やっぱり私たちにとってはすごくありがたくて、やっぱり腫れ物に触るように触れられることが、パラリンピアンだけではないと思うんですけれども、障害のある人たちっていうくくりの中でもそういう風に見られてしまいがちでもあると思うんですよ。それを疑問に思うこととか、正直にぶつけてくださることで、コミュニケーションっていうのは図れると思いますし、また、理解にも繋がっていくと思うんですよね。人間それぞれ性格があるように、障害のある人たちにも性格があります。そこはやっぱり対話していて気づいていただきたいものですし、パラリンピックの魅力を引き出すためにも、そういう意味では、いろんな人との対話を楽しんでもらいたいなと思います。

須田 いろんな方に会ったりとか、気になったことをその都度聞いたり。そうですよね。こうだからとか、私、気を使われるのがすごく苦手なんですよ、気を使われないことって意外と楽だったりするかなと思うことがあるので、なんか愛を持っても気は使わないというか、愛とか好きとか絶やさずに持っていたいけど、なんか、ね、人対人っていうその一番のことを大事にできたらいいなと思っています。

土田 いやありがたいです。そういう視点でいろいろものを見ていただくことで、共生社会って言われてますけど、そういうものにも繋がっていくと思いますし、みんながハッピーに暮らせると思うんで。ぜひぜひ、よろしくお願いします。

須田 ちょっとでもね、力になれたらいいなと思いますが、まだとんちんかんの部分はまだすごく多いので。

土田 若いのにすごくしっかりしてるし、楽しみ、これから。何か、お母さん的な感じ。お母さんと年齢近いだろうし。

須田 全然です、全然。